レス・クレイプールは相変わらず活動的で、ワイルドな音楽を作り続けている。4月28日にはニューオリンズでジャズ・バスタードというライブを開催、このライブにはバンドメンバーとしてギャラクティックのドラマー、スタントン・ムーア、パーカッショニストのマイク・ディロン、サックスの悪魔スケーリックが参加の予定だ。ニューオリンズの後はプライマスの長期USツアーが予定されていて、ラッシュのアルバム『A Farewell to Kings』を全部演奏の予定。ディロンとスケーリックは以前もクレイプールのソロアルバムやツアーに2回参加している。
長らく噂になっていた、フーのドラマー、キース・ムーンの映画についに青信号が灯った。タイトルは『The Real Me』になる予定。フーのバンドメイトだったピート・タウンゼントとロジャー・ダルトリーがエグゼクティブ・プロデューサーを務める。非常に評価の高いビートルズ関連のドキュメンタリーの数々を手掛けたホワイト・ホース・ピクチャーズがプロデュース。
ムーンはエネルギッシュで型にとらわれないドラミングスタイルに定評があり、また彼のいたずらやパーティ好きも有名だ。しかし、ドラッグ使用や過量な飲酒により、1978年に32歳でこの世を去った。撮影は6月に開始が決定しているが、配役は未定という。
多くの予想を裏切り、イタリアのグラム・ロック・バンド、マネスキンがアメリカで大きな波紋を呼んでいる。ユーロヴィジョンというヨーロッパのタレント発掘ショーで優勝したことによって人気を博した(ユーロヴィジョンは批評家にはあまりよい顔をされないが、莫大な人気がある)。アメリカではユーロヴィジョンは全くと言ってよいほど見られていない上にプロの音楽関係者はこの番組を悪い冗談のように見なしている。マネスキンがアメリカでブレイクしたのは、深夜のバラエティ番組「Saturday Night Live」に出演したからだ。ボーカルのダミアーノ・ダヴィッドはマーク・ボラン張りの男前で、ペリー・ファレルの下ネタ気味のユーモア・センスとマイケル・モンローのスタイリッシュな耽美さを兼ね備えている。他にも多くのファンを引き付けているのはゴージャスでハード・ロック・テイストのベーシスト、ヴィクトリア・ディ・アンジェリス。マネスキンのヒット曲はそれらしくない、アメリカのボーカル・グループフォー・シーズンズの1967年の「Beggin」のカバーだ。しかし、マネスキンのカバーはオリジナルとは全く違うサウンドで、むしろ2008年にヨーロッパで流行ったノルウェイのデュオ、マッドコンによるカバーのカバーと本人たちがいっているのがより正確だろう。
日本のオルタナティブ・ロックバンドのモーリスが新シングル「Jewel Story 2022」をリリースした。日本ではカルトバンドだったモーリスだが、オーストラリア・ベトナム・ヨーロッパ、そして特にUSAで多くのファンを獲得し、現在はアメリカでグッド・キャラメル・レコードと契約して活動、100を超えるライブをこなしている。バンドメンバーは、コロナの早い収束と、またツアーでダイナミックなライブを行えることを心待ちにしているという。
60年代のポップ・スター、ロニー・スペクターが78歳、癌で他界した。本名ヴェロニカ・ベネットはニューヨーク市生まれで、ザ・ロネッツ(彼女の姉妹やいとこも参加したバンド)で人気を博した。ロネッツには大ヒット曲「Be My Baby」(ブライアン・ウィルソンに最も偉大なポップソングと評された)「Baby I Love You」や「Walking In The Rain」がある。これらの曲はすべてフィル・スペクターがプロデュース、ロニーは1968年から74年の間彼と結婚していた。ザ・ロネッツは当時絶大な人気を誇り、1966年にはビートルズとツアーに出る、アップル・レーベルとの契約などを行っている。1967年のロネッツ解散後は大きなヒットはなかったものの、ロニー・スペクターはサウスサイド・ジョニー、エディ・マニーやミスフィッツ、ラモーンズのレコーディングに参加。1990年の自伝では、元夫フィル・スペクターを嫉妬深く、束縛が強い、誇大妄想的でちょっと気が狂っているようだ、と告発した。その後フィル・スペクターは女友達を殺害した罪で収監され、まだ出てきていない。
ロニー、安らかに。
エドガー・ウィンターが、ブルース・ロック・ギタリストだった兄へのトリビュートアルバム『Brother Johnny』を4月15日にリリースする。このアルバムの参加者の中には、ビリー・ギボンズ、デレック・トラックス、ジョー・ウォルシュ、ジョー・ボナマッサ、ウォーレン・ヘインズ、リンゴ・スター、テイラー・ホーキンズ、ジョン・マクフィーやマイケル・マクドナルドらも名を連ねている。ジョニー・ウィンターは、彼がアル・クーパー/マイク・ブルームフィールドのショーに参加した際、コロムビア・レコードにより”発見”され、60万ドルで契約。当時最高額のアーティスト契約となった。ジョニー・ウィンターズは、ロックとブルース、そしてその間のすべてのジャンルにおいてギタリスト・プロデューサーとして大成功をおさめた。彼はキャリアの早いうちにヘロイン中毒となり、1973年、そこからカムバックして名曲「Still Alive and Well」を上梓。中毒克服者として代替薬メサドンを服用していたが、日本ではメサドンが違法とされていたため、2011年まで来日できなかった。2011年ついに来日した際は、ゼップでのライブ 「Live From Japan」をリリースした。ジョニーは2014年、スイスツアー中に他界している。
モーフィンのドラマー、ビリー・コンウェイが、65歳で癌により他界した。ボストンをベースに1985年から91年の間活動したバンド、トリート・ハー・ライトで、ビリーは最初に世に出ている。このバンドのスタイルはスワンピーな、ストリップド・ダウン・ロックの中でもブルースよりだった。1989年にバンド仲間のマーク・サンドマンがサイド・プロジェクトとして、よりダークな、夢見るようなサウンドのモーフィンを立ち上げ、サンドマンがボーカルとツー・ストリング・ベースを担当、ダナ・コリーがバリトンサックスを担当。ビリーがモーフィンに参加したのは少し後で、モーフィンの傑作と呼ばれた1993年ライコディスクから出版された「Cure For Pain」に携わっている。その後、メジャーレーベルから出版したアルバムにも参加。モーフィンのアルバムは堅実に、着実に売り上げ、日本各所で行ったものも含むツアーによってファン層も広まり(日本ツアーの映像はドキュメンタリー『Journey of Dreams』にも使われている)、また映画『Spanking the Monkey』ではモーフィンの曲が多く使われた。悲劇的なことに、マーク・サンドマンは1999年に舞台上で心臓発作に襲われ死去したが、バンド自体は高い人気を誇った。モーフィンの消滅後、ビリーは新たなプロジェクトバンド、トゥワインマンを恋人かつシンガーのローリー・サージェントと結成、また2020年には唯一のソロアルバム『Outside Inside』をリリースした。安らかに。
ネスミスはまた、他のアーティストにも曲を書いていて、イアン・マシューズやバート・ジャンスらのプロデュースも手掛けている。彼は他にも、ミュージック・ビデオの発案者でもある。1980年、ポップ・クリップスというケーブルテレビの番組を作り、これをタイム・ワーナー社が買収して後のMTVとなるのだ。ネスミスは、ライオネル・リッチのビデオ「All Night Long」や、マイケル・ジャクソンの「The Way You Make Me Feel」をプロデュースしている。
サックスの巨人、スケリックはこのところ、スコット・アメンドーラvsウィル・ブレーズ『Everybody Wins』(ロイヤル・ポテト・レコード)にタートスのギタリスト、ジェフ・パーカーと、ブラジル人パーカッショニストのサイロ・バプティスタと一緒に参加、また、ネルス・クライン・シンガーズの『Share the Wealth』(ブルーノートレコード)にはトレヴァー・ダン、サイロ・バプティスタ、スコット・アメンドーラと、さらにガラージ・ア・トロワ『Calm Down Cologne』(ロイヤル・ポテト)、にはチャーリー・ハンターとスタントン・ムーアらと、素晴らしいアルバムに参加しているが、コロナ状況によりアルバム・ツアーができないでいる。ただ、ガレージ・ア・トロワ、アメンドーラvsブレーズは来年のギグをすでに発表しているので、そこで彼らの素晴らしい新作を堪能できることを祈りたい。
シンガー・ソングライターのマーゴ・ガーヤンが84歳で他界した。ジャズを学び、キャリアの初期にはオーネット・コールマンやドン・チェリーと共演。ガーヤンの曲が最初にレコーディングされたのは、1958年に彼女の「Mood Ride」がジャズ・シンガーのクリス・コナーにコピーされた際だ。その後ハリー・ベラフォンテが「I’m On My Way to Saturday」をレコーディング、ディジー・ガレスピーが「This Lovely Feeling」、スパンキー&アワ・ギャングが「Sunday Mornin」(この曲は1967年にチャートのトップ30にランクインし、フランス語でもカバーされた)。カルメン・マクレー、ジュリー・ロンドン、クロディーヌ・ロンジェ、ライナス・オブ・ハリウッドやセイント・エティエンヌも同じく彼女の曲を録音している。彼女のデビュー・アルバムは1968年にリリースされた『Take a Picture』だが、カルト的な人気を誇っている。しかし、彼女はツアー・ミュージシャンになることに興味がなく、隠者のような生活を送った。彼女のデビューアルバムのオリジナル・プレス版はコレクターズアイテムとなり、日本で特に人気が高かったため、2000年にリイシュー版がリリースとなった。安らかに。
ロサンゼルスをベースに活動するプロデューサー兼アーティストのスコット・フィッシャーが新譜『93 Million Miles』を発売した。このアルバムにはグレートフル・デッドのギタリスト、ジェリー・ガルシアの「Sugaree」「Mission in the Rain」のカバーなども収録され、ガルシアの強い影響が感じられる。他にもボブ・ディランの「Simple Twist of Fate」も収録されているが、こちらもガルシアがカバーしている。
Go-Go’sのドラマー、ジーナ・ショックが自伝「Made in Hollywood」をリリース。彼女のキャリアを、初期のマッドネスと一緒だったUKツアーから、デヴィッド・ボウイとの出会い、ローリング・ストーンズの前座を務めた時のものから写真と、その写真にまつわるストーリーで綴っている。Go-Go’sは最近ロックの殿堂入りを果たし、小学生の頃からGo-Go’sを知っていたというドリュー・バリモアによって紹介された。ジーナ自身は、最近10代女子バンドリンダ・リンダズのゲストになったり、Go-Go’sも2022年にツアーを企画中だ。
ロックの殿堂入りを果たしたトッド・ラングレンだが、セレモニーには参加しなかった。ラングレンいわく、ロックはスポーツみたいな競技ではなく、協会の投票システムに納得がいかない、ロックの殿堂セレモニーで会うような金持ちや著名人と肩を並べるよりもファンと会っている方が自分には合っているとのこと。隠して、彼の「The Individualist, a True Star」は続く。
アップルから、トッド・ヘインズ監督(ヴェルヴェット・ゴールドマイン、I’m Not There )によるヴェルヴェット・アンダーグラウンドの新しいドキュメンタリーが配信される。2時間1分にわたるニューヨークの精力的なロックバンドについての長編映画は、10月15日、全米の映画館にて封切られた。このバンドは1964年に結成され、最盛期のメンバーは1965年に集ったルー・リード、ジョン・ケイル、スターリング・モリソンとモー・タッカー。彼らのチャート最高位アルバムは1967年のデビューアルバム『Velvet Underground & Nico』で、チャート171位。このアルバムでは当時珍しかった麻薬の過剰使用、売春やSMをトピックに扱っている。チャート順位とは裏腹に、彼らは異様なまでに影響力の強いグループとなった。ブライアン・イーノはヴェルヴェット・アンダーグラウンドが3万枚しか売り上げがなかったことに言及し「この3万枚のアルバムを買った全員がバンドを始めた」と称した。