Category: コラム

2月 15 2016

Lady GagaがSuper Bowlで国歌斉唱

レディー・ガガが、2月7日のアメリカ最大のテレビイベント、スーパー・ボウルにて国歌斉唱、その後15日にはグラミー賞授賞式でデヴィッド・ボウイのトリビュート・パフォーマンスをする。

10月 24 2015

今年のおすすめアルバム『Analog Spirit Quest』

ジャズファンクの達人でマルチ・プレーヤーのマイケル・カマーズとブラザーズ・ナイロンによる冒険心とグルーヴ感満載のコラボEP『アナログ・スピリット・クエスト』は(Ropeadope Recordsから今年7月にリリース)は、マイルズ・デイヴィス、ジミー・マクグリフ、フランク・ザッパのファンにおすすめの一枚だ。通常はMKグルーヴ・オーケストラ(MKGO)名義で作品をリリースしているカマーズだが、これまでにアフロビート・グルーヴ・オーケストラ、映画音楽の巨匠メルヴィン・ヴァン・ピープルズ、フリークフォーク・ムーブメントの代表格アクロン・ファミリーやレゲエバンドのイージー・オールスターズなど多数のアーティストとコラボレーションを行なってきた。また、日本人ではMisiaのドラマーとして最もよく知られるTomoaki Kannoとも定期的に共演している。

9月 29 2014

錦織圭の戦闘曲はNujabes

テニス・スターの錦織圭が、最近のインタビューで、試合前に聞いて気分を高める曲はNujabesだと答えた。
Nujabesは2009年に交通事故で死亡したが、彼の音楽は人気が高く、アメリカにも多くのファンがいる。アニメ「サムライ・チャンプルー」で彼を知ったというファンが多い。

6月 07 2014

Billboardマガジンがオンライン海賊を支える企業を糾弾

大企業がオンライン海賊行為をどうやって支えているかという記事を、ビルボード・マガジンが発表した。音楽著作権侵害行為をしているサイトに広告を出したりしている企業のうちには、ウォルマート、マクドナルド、フォード、トヨタやマイクロソフトが挙げられている。

6月 03 2014

米Amazonがストリーミング配信を開始

米アマゾン・ドット・コム社が、2ヶ月の間に音楽配信会社を開始すると発表した。
しかし、プライム・ミュージック・サービスが提供するのは、6ヶ月以上前の楽曲のみとなる。最新のコンテンツが含まれないのでは、音楽配信トップのSpotify、Rdio、BeatsやPandoraとは競合しないのではと思うが、このサービス自体、アマゾン本来の事業への「おまけ」的なものという位置付けのよう。また、他の音楽配信トップ会社と同様、日本でのサービス開始はまだ時期も決まっていない。

米アマゾン自体、ここ最近、出品者との公的な問題が目立つ。アマゾンのマーケットシェアの巨大さを武器に、出品者に対して、商品の更なる値引きを迫るのだ(CD、DVDだけでなく、あらゆる商品において)。この値引き要求に応じない出品者に対して、アマゾンは商品の検索のしづらくする、在庫の量を減らす、リコメンデーションやお急ぎ便を使えなくするなど、敵対行為を仕掛けるのだ。現在は、フランスの出版社アシェットが、この「インターネットのウォルマート」と異名をとるアマゾンの猛攻を受けている。

5月 29 2014

ハリウッドで日本作品の映画化続く

ハリウッド映画の題材として日本の作品が使われる事が続いている。『ゴジラ』の新作は、公開初週で世界で2億ドルという巨額の利益を生み出した。
また、現在噂になっているのが、トム・クルーズとエミリー・ブラント主演のSFCG映画、『Edge of Tomorrow』だが、これは桜坂洋のライトノベル『All You Need Is Kill』の漫画化を原作としている。
また、他の作品でも、日本の作品に触発されたと見てよさそうなものが続いている。『Hunger Game』は『バトル・ロワイアル』との共通点が多いし、『Her』のストーリーは、主人公秀樹が「ちぃ」と名付けられたコンピューター・プログラムに恋をする『ちょびっツ』に非常に似ている。

10月 04 2013

Badfingerの「Baby Blue」人気再燃

先週放送されたアメリカの大ヒットドラマ『ブレイキング・バッド』最終回のクロージングシーンで、バッドフィンガーの「ベイビー・ブルー」が挿入歌としてフィーチャーされた。ドラマ『ソプラノ』最終回にフィーチャーされたジャーニーの「ドント・ストップ・ビリーヴィン」と同様に今曲もリバイバル・ヒットになると予測されている。実際、すでにiTunesのメインチャートでは14位にランクインしている。ビートルズのレーベルApple Recordsと初めて契約を交わしたバンドであるバッドフィンガーは1970年と71年の間に4曲が大ヒット。しかし、Apple Recordsの売却や経営者のいかがわしいやり方に巻き込まれてしまう。メンバーのピート・ハムは1975年に首つり自殺で他界、追って1983年にトム・エヴァンズも自宅庭の木で首つり自殺を遂げ、バンドの歴史は幕を閉じた。しかし、彼らのアプビートなパワーポップ・スタイルの人気は衰えることなく、これまでに多数のアーティストにカバーされてきた。また、邦画『20世紀少年』にも数曲がフィーチャーされている。

9月 04 2013

「Louie Louie」50周年イベントが米で開催

ザ・キングスメンの名曲「ルイ・ルイ」リリース50周年を記念するスペシャル・イベントが、米オレゴン州ポートランドで10月5日に開催される。同曲は様々な意味で伝説的な曲である。作詞・作曲を手がけたリチャード・ベリーは「タイ・アップ・ザ・クレイジー・ガイ」というキューバの曲のリズムからインスピレーションを受けて同曲を書いたという。ベリーはチャック・ベリーの「ハバナ・ムーン」のようにカリブ調の英語で歌詞を書いたが、1955年にレコーディングされたこのオリジナル・バージョンはヒットしなかった。その後、アメリカ北西部出身のウェイラーズがカバーしたインストゥルメンタル・バージョンがそこそこのヒットになり、1961年にシンガーのロッキン・ロビン・ロバーツを迎えてレコーディングしたバージョンはシアトルのみでヒットした。同じく北西部出身の白人ティーンエイジャー・バンドのザ・キングスメンは、レコーディング予算50ドルを自己負担してウェイラーズと似たバージョンをワンテイクで録った。このバージョンのボーカル部分は、マイクの位置が高すぎた、あるいはシンガーが前日に歯の矯正治療を受けたのが一因の若干固いサウンド、3つのコードが繰り返され続ける非常にシンプルな構成が特徴だ。インディーズ・レーベルのジャーデンからリリースされたこのバージョンはかなり素朴な上に数カ所の演奏ミスがあるが、大ヒットとなり2位を獲得した。そして、北西部出身のポール・レヴィア&ザ・レイダーズがザ・キングスメンと同時期にレコーディングしたバージョンも人気を集め、アメリカ国内の地域によってはザ・キングスメンのバージョンをしのぐ勢いをみせた。しかし、歌詞が聞き取りずらかったため過激な性描写がふくまれているという噂が広がった。FBIは31ヶ月間に渡ってこの曲の調査を行ったが、最終的に歌詞がわかりずらいという結論に達した。複数のラジオ局は同曲を放送禁止にしたが、それは曲の人気をさらにエスカレートさせるだけだった。後にバンドのドラマーは、曲の冒頭54秒でドラムスティックを落とした時に“くそっ”と罵っている自分の声がかすかに聞きとれると認めたものの、歌詞は完全にクリーンだと主張した。人気の高さと演奏しやすさを理由に60年代半ばのアメリカのバー・バンドはこの曲をこぞってカバーした。フランク・ザッパは時々皮肉っぽく演奏し、ザ・ストゥージズのライブ・アルバム『メタリカKO』にはアドリブでわいせつな歌詞をつけて歌ったバージョンが収録されている。現在では、キンクス、ブラック・フラッグ、トゥーツ・アンド・ザ・メイタルズ、ザ・クラッシュ、ジョアン・ジェット、グレイトフル・デッド、ファット・ボーイズ、ブルース・スブリングスティーン、スマッシング・.パンプキンズなど少なくとも1600曲のバージョンがあるといわれている。

4月 03 2013

タワレコ・サンセット店跡地が美術館に?

LAのサンセット・ストリップにあったタワーレコード跡地にポップカルチャー美術館を建設する計画が持ち上がっている。タワーレコードが西海岸で唯一の大手チェーンだった時期もふくむ1971年から2006年まで営業したタワーレコード・サンセット店は、タワーレコード最大の売上げを誇る店舗だった。音楽や映画業界のメッカでもあるLA中心部というロケーションから、同店には数多くのセレブ、奇人変人や業界人が足を運んだ。1930年代から40年代にかけては、Ciro’s、Mocambo、Trocaderoなどのクラブが人気を集めたことで、サンセット・ストリップは一躍ホットな夜遊びスポットに。60年代には、Whiskey-A-Go-Go、Roxy、Pandora’s Box、Rainbow Bar & Grill、London Fogなどのクラブが流行り、サンセット・ストリップに溢れ返る人混みを整理するために警察が外出禁止令を発令する事態に発展したほどだ。これをきっかけに暴動が起き、バッファロー・スプリングフィールドは「フォー・ワット・イッツ・ウォース」という曲を書いた。また、レッド・ツェッペリン、ザ・フー、ローリング・ストーンズらが滞在したハイアット・ウエスト・ハリウッド(通称ライオット・ハウス)は、あらゆる意味で過激なロック・ミュージシャンの伝説的な溜まり場として知られるようになった。70年代にはラジオDJのロドニー・ビンゲンハイマー主催のパーティー〈イングリッシュ・ディスコ〉がグラム・ロック・シーンを盛り上げた。この他には、メタルファンに人気だったStarwoodやGazzarri’sといったライブハウスから、ヴァン・ヘイレン、モトリー・クルー、ガンズ・アンド・ローゼズ、ポイズン、ウォレント、ラット、クワイエット・ライオットなど多数のバンドが誕生した。タワーレコードの対面にあったライブハウスCentralは、1993年にViper Roomとして生まれ変わり、ジョニー・デップが共同経営者であることをはじめ、俳優のリバー・フェニックスが麻薬の過剰摂取で死亡した場所として、客層がセレブ中心なことから有名になった。

3月 11 2013

Dodgeの最新CMソングは「California Sun」

「カリフォルニア・サン」のラモーンズ・バージョンが最近のダッジ自動車のテレビCMに起用されている。アップビートでポップな同曲は、黒人の作曲家/ミュージシャン/プロデューサーのヘンリー・グローバーと音楽業界の伝説的人物モリス・レヴィによる共作。アーティストをぼることで有名だったレヴィは、この曲の著作権を主張してきた。しかし、現在ではグローバーだけに著作権があると認める者もいる。1961年にニューオリンズ出身のジョー・ジョーンズ(「ユー・トーク・トゥー・マッチ」が大ヒット)がレコーディングした同曲は、チャート89位にとどまった。ところが、インディアナの高校生バンド、リヴィエラズが1964年にレコーディングしたバージョンがトップ5ヒットに。カリフォルニアを一度も訪れたことがなかったリヴィエラズのバージョンが主流となっていった。その後は、バーで演奏するバンドの定番曲となり、多数のアーティストによって様々な言語でレコーディングされてきた。日本ではおそらくベンチャーズのバージョンが最も有名だろう。1975年にNYを拠点とするプロト・パンク・バンドのディクテーターズがカバーし、1977年にはバンドの友人で近所に住んでいたラモーンズがカバーした。

1月 08 2013

Kurt Cobainのドキュメンタリー映画が制作へ

ブレット・モーゲン監督によるカート・コバーンのドキュメンタリー映画が制作されることが明らかになった。コートニー・ラブの許可を得て制作中の今作は、実写とアニメをミックスさせた映像が特徴。“今世代の『ザ・ウォール』”の様な作品を目指しているそうだ。コーバンは1984年4月8日にショットガンで自殺したが、ニルヴァーナの人気は現在も衰えることがない。ドラマーのデイヴ・グロールは、ニルヴァーナ以降は自身の活動で大スターの座を手に入れた。ポール・マッカートニーは先日ニルヴァーナのメンバーと共演したばかり。また、最近ではサブポップの共同創設者ブルース・パヴィットがニルヴァーナの1989年のヨーロッパ・ツアー写真集を出版した。ニルヴァーナの名曲「スメルズ・ライク・ティーン・スピリット」は、これまでにトーリ・エイモスのアコースティック・ピアノ・バージョン、バッド・プラスのジャズ・バージョン、ティーン・スターのリーフ・ギャレットとグランジのアイコン的存在ザ・メルヴィンズによるバージョン、ムーグ・クックブックのシンセサイザー・バージョン、フライング・ピケッツのアカペラ・バージョン、オリジナルの詩を取り入れたパティ・スミスのバージョンなど多数のカバー・バージョンが存在する。2000年には、ローリング・ストーンズ誌とMTVがビートルズの「イエスタデイ」とストーンズの「サティスファクション」に続く歴代の名曲3位に同曲を選出した。

11月 19 2012

『Killing Me Softly』誕生40周年

40年前の今週、Roberta Flack の”Killing Me Softly”がレコーディングされた。同曲はリリース後4週間全米チャート1位を獲得し、1973年のグラミー賞でレコード・オブ・ジ・イヤーにも選ばれた。この曲はジャズ・プロデューサーとして知られるJoel Dorn氏によるプロデュースで、Ron CarterやRalph McDonald、High McKrackenといった名プレイヤー達が演奏している。
その後、世界中の多くのミュージシャンが様々な言語でカバーしていて、100バージョン以上存在しているが、最も知られているのは1996年のthe Fugeesのものだろう。日本では『やさしく 歌って』という邦題が付けられ、これまでにAIや高橋真梨子、渡辺美里、本田美奈子、和田アキ子、南沙織などがカバーした。

10月 22 2012

Lynyrd Skynyrd、あの飛行機事故から35年に

レーナード・スキナードのボーカル、ロニー・ヴァン・ザントとギタリストのスティーヴ・ゲインズが1977年にツアー中の飛行機墜落事故で他界してから、10月20日で35年目を迎える。サザンロック・バンドのレーナード・スキナードは、1972年にミュージシャン/プロデューサーのアル・クーパーによって“発見”された。デビュー作は瞬く間に成功をおさめ、1973年にはバンドはザ・フーとツアーを行なうまでになっていた。バンドは「スウィート・ホーム・アラバマ」や「フリーバード」などの大ヒット曲を輩出し、メンバー交代を数回経ながらも精力的な活動を続けた。飛行機事故の3日前にリリースされたアルバム『ストリート・サバイバーズ』のセールスは事故の影響で飛躍的に伸び、ダブルプラチナ賞を獲得。しかし、バンドは解散を余儀なくされた。また、1987年にロニー・ヴァン・ザントの弟ジョニーがボーカルで参加したバージョンがリバイバル・ヒットに。その後、さらに3人のバンドメンバーが他界し、メンバー交代を頻繁に繰り返してきた。現在はゲイリー・ロッシントンが唯一の『ストリート・サバイバーズ』時代のメンバーとして活動している。

9月 20 2012

人気再燃のJeff Buckley

1997年に30歳の若さで溺死したシンガーソングライター、ジェフ・バックリィが最近再び注目され始めている。ジェフは実の父親でシンガーのティム・バックリィを全く知らないまま、継父の元でスコッティ・ムーアヘッドとして幼少期を過ごした。しかし、顔も歌い方も父親に似ていたジェフはティムと比較されることが多かった。レゲエ、メタル、パンク、フォーク・ミュージックで活動した後、ジェフはゴッド&モンスターズを結成。バンドの楽曲はミリオンセラーを記録したバックリィのソロ・デビュー作『グレース』にも収録された。ゴッズ&モンスターズの共作者でギタリストのゲイリー・ルーカスは自伝『タッチド・バイ・グレース』を出版したばかり。毎年、ニューヨーク、シカゴ、オーストラリアで開催されているバックリィのトリビュート・コンサートも人気を集めている。さらに、現在制作が進行中のバックリィ伝記映画が3作品もあるのには驚きだ。ひとつはペン・バッジリー主演の『グリーティングス・フロム・ティム・バックリィ』。もうひとつは、バックリィの母親の全面的協力の元でリドリー・スコットの息子ジェイク・スコットが監督、リーヴ・カーニー(『スパイダーマン』)が主演をつとめる作品。そして、オーストラリア映画『ザ・ピュア・ドロップ』(原作も同タイトル)だ。

8月 08 2012

Richard BransonがJohn Peelに感謝の意

ヴァージン・グループの創設者で会長のサー・リチャード・ブランソンが、自身が億万長者になるきっかけを作ってくれたのはBBCのDJジョン・ピールのおかげだと最近のインタビューでコメントしている。1973年、どのレーベルも興味を示さなかったマイク・オールドフィールドのアルバム『チューブラー・ベルズ』を気に入ったブランソンは、設立したばかりのヴァージン・レコードから新譜第一弾として同作品をリリース。このアルバムを高く評価したピールがアルバム収録全曲を自身の番組でオンエアしたことで人気に火がつき、瞬く間にマルチミリオンセラーの世界的ヒットとなった。今年はロンドン五輪に繰り返しフィーチャーされた効果でリバイバル・ヒットとなっている。活動初期にピールに支持されたことでブレイクした数々のバンドは、T・レックス、ピンク・フロイド、デヴィッド・ボウイ、ジョイ・ディヴィジョン、ホワイト・ストライプス、パルプなど。また、少年ナイフやメルト・バナナといった日本のインディーズ・バンドの多くもピールから支持されている。

7月 09 2012

NYで『Ronnie Spector: Behind the Beehive』が開幕

ロックの殿堂入りアーティスト、ロニー・スペクター(68)の生涯を伝えるマルチメディア一人芝居「ロニー・スペクター:ビハインド・ザ・ビーハイヴ」がニューヨークで開幕した。劇中の一部にはザ・ロネッツの楽曲がフィーチャーされているが、ロニーの元夫で共作者のフィル・スペクターから使用許可が下りなかったために、「ビー・マイ・ベイビー」や「ベイビー・アイ・ラヴ・ユー」といったヒット曲は登場しない。フィルは2003年に女優のラナ・クラークソンを殺害した罪で現在も服役中だ。1968年にフィルと結婚したロニーは、フィルの異常なまでの独占欲、嫉妬、偏執狂的な性格に不満がつのり、1974年にフィルの元を去った。しかし、当時ロニーに外出禁止令を出したフィルがすべての靴を隠していたために、ロニーはガラス窓を割って裸足で家の外に逃亡。ロニーが初めて自伝を発表した時は、彼女がフィルについて誇張した作り話を書いているのではと疑う読者もいた。しかし、後にフィルがレナード・コーエンを石弓で脅し、ラモーンズに拳銃を向けたという事実が発覚すると共に、ようやく周囲がロニーの話を信じる様になっていった。また、クラークソン殺害事件の後、複数の女性がフィルに拳銃で脅されたことがあると証言したことも追い風に。ロニーはこれまでに、ブルース・スプリングスティーン、サウスサイド・ジョニー、エディー・マネー、ジョーイ・ラモーン、ザ・レヴォネッツらとコラボレーションを行なってきた。2011年には薬物依存症のリハビリ・センターへの寄付活動のために、エイミー・ワインハウスの「バック・トゥ・ブラック」をカバー。ワインハウスのビーハイブヘアと極太アイラインは60年代のロニーのルックを模倣したものだ。また、ワインハウスがエイミー・ムティナとレコーディングした「B・ボーイ・ベイビー」は、ロニーのヒット曲「ビー・マイ・ベイビー」からインスピレーションを受けている。

6月 25 2012

ジャック・ジョンソンとは?

今年になり改名したヤシーン・ベイことモス・デフが中心となり、90年代初期に活動した伝説のバンド、リヴィング・カラーのドラムスだったウィル・カルホーンに、同じくリヴィング・カラーのベーシストのダグ・ウィンブッシュ、キーボーディストでパーラメントのオリジナルメンバーでもあったバーニー・ウォーレルに、これまた伝説のバンドバッド・ブレインズのスーパーギタリスト、Dr.ノウという面子のスーパーブラックロックバンド、ブラック・ジャック・ジョンソン。実は実在した人物の名前だとご存知だろうか?
若者はハワイ出身のシンガー・ソングライターであるジャック・ジョンソンを思い浮かべるだろうが、最も有名なのは1908-1915年にアメリカで黒人初のボクシングのヘビー級チャンピオンであったボクサーのジャック・ジョンソンだ。
当時非常に大きな論争の的となった彼は、ジャズ・トランペットの巨匠マイルス・デイビスのアルバム『A Tribute to Jack Johnson』や2005年にエミー賞を獲得したKen Burns 監督のドキュメンタリー映画「Unforgivable Blackness: The Rise and Fall of Jack Johnson」の題材となった。

6月 21 2012

Graham Nashの自伝が来年秋に出版

グラハム・ナッシュ(70)が2013年秋に出版予定の自伝の執筆を進めている。噂によると今回の原稿料前払いとして数百万ドル以上を受け取っているそうだ。ブリティッシュ・インヴェイジョンの流れに乗ったホリーズ(初めてのヒット曲は1963年)のメンバーとして活動し、音楽出版社を設立して当時まだ若かったエルトン・ジョンと契約を結び、LAに移住してスタートしたクロスビー、スティルズ、ナッシュ&ヤング(以下、CNS&Y)での活動など、多様な経歴を持つナッシュの自伝は面白い内容になるだろう。CNS&Yは、音域の高いボーカル、バンド内の駆け引きとメンバー同士の対立、そして麻薬中毒だったことで知られる。ナッシュは後にアメリカ国籍を取得。一時期はジョニ・ミュッチェルと恋愛関係にあった他、MUSE (Musician United for Safe Energy)の共同創設者で副業の写真家としても活動している。また2006年にはデヴィッド・ギルモアとツアーを行なった。

6月 15 2012

Spooner Oldhamにハッピーバースデー!

ロックの殿堂入り受賞歴を持つセッション・ミュージシャン/ソングライターのスプーナー・オールダムが14日に69歳の誕生日を迎えた。オールダムは、ダン・ペンと共作したボックス・トップの「クライ・ライク・ア・ベイビー」や「アイム・ユア・パペット」(ジェームス・アンド・ボビー・ピュリファイの曲としてヒットした後、100組以上のアーティストがカバー・バージョンをレコーディングしてきた)、「ア・ウーマン・レフト・ロンリー」(ジャニス・ジョプリン、チャールズ・リッチ、キャット・パワー、リタ・クーリッジ)など数々の名曲を世に送り出したことで知られる。また、ニール・ヤング、ジャクソン・ブラウン、ボブ・ディラン、ジョー・コッカー、JJ・ケイルら多数のアーティストのレコーディングに参加してきた。

6月 13 2012

初音ミクが海外本格進出!

ロサンゼルス・タイムズに、日本発の音楽として海外で最も話題を集めているバーチャル・アイドル『初音ミク』の特集記事が掲載された。記事の中ではこのボーカロイドに関する基本情報の他、トップ・テンのウェブサイト読者投票でロンドン五輪の開幕式に出演して欲しいアーティスト第1位に『初音ミク』が選ばれたことが取り上げられている。『初音ミク』の開発元クリプトン・フューチャー・メディア株式会社は英語版ソフトウェアを今夏に発売する計画を発表。『初音ミク』の全米ツアーは2013年に行なわれる予定だ。

6月 02 2012

音楽も法律も闘牛もこなすスーパーマンJoe Escalante

ベテラン・パンク・バンドのヴァンダルズのベース・プレイヤー、ジョー・エスカランテが極めて多忙な日々を送っている。エスカランテは音楽活動を行なうかたわらで、法律を学んで弁護士になり、闘牛(メキシコに自身のルーツがあることから興味を持ち始めてマタドールに)にも関わっている。バンド活動初期に映画監督のペネロペ・ スフィーリスと組んだことが、後にエスカランテが映画作品をプロデュースするきっかけとなった。弁護士になった後はCBSの業務部門でしばらく働き、野心のあるミュージシャンやクリエイターが自身のキャリアについてエスカランテに相談する人気ラジオ・トーク番組『ベアリー・リーガル』で活躍。モリッシーのトリビュート・バンド、スウィート・アンド・テンダー・フーリガンズでも活動している一方で、現在はLA最高裁の裁判官選挙に立候補中だ。

5月 29 2012

David Byrneもおススメのサイクリング

最近60歳の誕生日を迎えたばかりのデヴィッド・バーンが、ニューヨークタイムズ誌に自身が熱中している趣味のサイクリングについて寄稿した。バーンは今年の夏から一般市民を対象とした自転車レンタルシステムをスタートするニューヨーク市を讃えている。同様のシステムはロンドン、トロント、バルセロナ、ミラノ、パリ(2万台以上の自転車台数を記録)など世界200都市以上で実施されている。バーンは南米でのサイクリング旅行から帰ってきたばかり。寄稿文ではサイクリングが健康と環境に有益であることや、通勤に便利な交通手段であることを強調している。南米コロンビアの首都ボゴタは自転車専用のレーンを設けた他、週末には歩行者と自転車のみが通行できる様に一部の道路を閉鎖している。この結果、自転車利用者の割合が500%増加したそうだ。

5月 26 2012

Bob Dylanにハッピーバースデー!

5月24日に71歳の誕生日を迎えたボブ・ディランを心から祝福したい。多忙な日々を送り続けている伝説的なシンガーソングライターは、中南米での16公演ツアーを終えたばかり。7月8日にはスイスの〈モントルー・ジャズ・フェスティバル〉に出演する。

5月 25 2012

シンセサイザーのパイオニアRobert Moogの誕生日によせて

5月25日はエレクトロニック・ミュージックのパイオニア、ロバート・モーグの誕生日だ。モーグは2005年に71歳で他界。音楽好きなエンジニアだったモーグはテルミンを販売する会社を設立し、テルミンの人気を復活させるのに貢献した。その後、“Moog”というブランド名でシンセサイザーの製造・販売を始め、1967年の〈モントレー・ジャズ・フェスティバル〉で初の製品発表を行なった。初期の顧客にはビートルズ、ミック・ジャガー、サン・ラなどが名を連ねた。ミュージシャンで初めてシンセサイザーをツアーに使用したのは、1968年にMinimoogをツアーに取り入れたキース・エマーソンだった。また、同年にはウェンディ・カルロスがMoogを使ったアルバムをリリースし、ベストセラー・ヒットとなった。ブランドの知名度アップに貢献したその他の初期のMoog愛用者には、イエス、ピンク・フロイド、冨田勳、ハービー・ハンコック、クラフトワークなどがいる。2003年にはニューヨークで一夜限りのクラブ・イベント〈モーグフェスト〉が開催され大成功を収めた。後に開催地をノースカロライナ・アッシュヴィルに移した同イベントは年々規模を拡大。3日間開催となった昨年は、ブライアン・イーノ、フレーミング・リップス、タンジェリン・ドリームらが出演した。また、最近ではWooufというメーカーが初期のMoogに似たデザインのソファを発表している。モーグの誕生日を記念して、Googleは最新Doodleの“モーグ・フォン”(カーソルを鍵盤の上に合わせてクリックすると、Moog シンセサイザーに似た音が鳴り、各種制御用つまみを動かすこともできる)を昨日発表したばかりだ。

5月 23 2012

Jan&Deanの往年の名盤がリイシューへ

ジャン&ディーンの1963年から66年までの傑作アルバム6枚が今日リイシューされた。高校時代の友人だったジャン・バリーとディーン・トーランスによって結成されたデュオは、同様にサーフ・ミュージック・ブームのパイオニアだったビーチボーイズと頻繁にコラボレーションを行なっていた。「サーフ・シティ」(ラモーンズが後にカバー)、「リトル・オールド・レディー・フロム・パサデナ」(ビーチボーイズがカバー)、「ライド・ザ・ワイルド・サーフ」(ジャン・ベリーとブライアン・ウィルソンが作曲)、「バケット・T」(フーがカバー。キース・ムーンがファンだった)、「サイドウォーク・サーフィン」(ビーチボーイズの曲「キャッチ・ア・ウェイヴ」の歌詞の内容をサーフィンからスケートボードに変えた曲)、そして自動車事故について歌った伝説の曲「デッド・マンズ・カーヴ」といった大ヒット曲を世に送り出した。次々とヒット曲を出しながらも、1963年から64年の間に6枚のアルバムをリリース。また、他アーティストのプロデュースと楽曲提供も手がける一方で、大学にフルタイムで通っていたのは実に驚異的である。ディーンはサンタクルーズ大学で建築学を専攻、ジャンはカリフォルニア大学で科学を専攻した後に医学大学院に進学した。

5月 21 2012

故・Israel “Iz” Kamakawiwo’oleの誕生日によせて

5月20日はハワイの伝説的ミュージシャン、イズラエル・“イズ”・カマカヴィヴォオレの誕生日だ。1959年生まれのイズは、1997年に38歳の若さで肥満が原因の呼吸器系障害のために他界した。1993年発表のアルバム『フェイシング・フューチャー』は、ハワイ音楽で初めてゴールド・ディスクを獲得した作品に。彼の死後もその音楽の人気が衰えることはなく、特に映画やテレビに頻繁に起用されてきた「オーバー・ザ・レインボー/ワット・ア・ワンダフル・ワールド」のメドレーが有名。セクシーなAxeボディスプレーのCM曲に起用されたことなどが、同曲がiTunesドイツ史上で最高セールスを記録した理由のひとつとなっている。また、アメリカではダウンロードだけで300万枚以上の売上げを記録している。

4月 27 2012

92歳の現役ロッカーPete Seeger

今年最も活躍しているロックスターといえば、92歳のバンジョ奏者ピート・シーガーだろう。シーガーは、ボブ・ディランのトリビュート・アルバム『チャイムス・オブ・フリーダム』に参加するなど大きな功績を築いてきた。分裂しているアメリカを1つにしたいというメッセージをこめたシーガーの曲「ザ・ランド・イズ・アワー・ランド」は、ブルース・スプリングスティーンとニール・ヤングにカバーされている。昨日は、オスロだけで4万人以上のノルウェーの人々が集まって「マイ・レインボー・レース」を歌った。
その他の大きな功績には、1位を獲得したヒット曲「グッド・ナイト・イレーン」と「リトル・ボクシズ」、そしてアフリカの曲を有名にした「ウィウェ/ザ・ライオン・スリープス・トゥナイト」、スピリチュアル・ソングが市民権運動のアンセムになった「ウィー・シャル・オーバーカム」、そして「ウェア・ハブ・オール・ザ・フラワーズ・ゴーン」の共作、キングストン・トリオとマレーネ・ディートリッヒ(1962年に3カ国語で歌ってヒット)のヒット曲、ピーター、ポウル、メアリーのヒット曲(1962年)とトリニ・ロペズ(1963年)のヒット曲「イフ・アイ・ハド・ア・ハマー」、60年代半ばのバード、シーカーズ、ジュディ・コリンズのヒット曲「ターン、ターン、ターン」などがある。シーガーは、1993年のグラミー賞では功労賞を受賞し、1996年にはロックの殿堂入りを果たした。

4月 18 2012

The BandのLevon Helmが末期がんに

ザ・バンドのドラマー/ボーカル、レヴォン・ヘルム(71歳)が末期がんであることを家族がホームページで公表した。ザ・バンドは、ロカビリー・シンガー、ロニー・ホーキンズのバッキング・グループのメンバーによって結成された。1965年にボブ・ディランのバッキング・グループをつとめたことで有名になり、ディランとはバンドが解散した1976年まで度々コラボレーションを行なってきた。解散ライブは『ザ・ラスト・ワルツ』というタイトルで映画化されている。

4月 05 2012

Diploの番組がBBC Radio 1でスタート

DJ、トラックメーカー、プロデューサーとして高い評価を受けるディプロが、 BBCラジオ1で新番組をスタートする。米ミシシッピー州生まれ、南部育ちの本名トーマス・ペンズは、北アメリカ大陸に棲息していた巨大な植物食恐竜のディプロドクス科(Diplodocid)に魅了され、フィラデルフィアの大学在籍中にディプロとしてDJ活動をスタート。また、ホラートロニックス名義で他のアーティストらとのコラボ・プロジェクトも立ち上げた。ヒップホップ、トリップホップ、ダンスホール、ファンクの要素を取り入れた彼の音楽に着目したイギリスの名門レーベルNinja Tuneから大絶賛を受けたデビュー・アルバム『フロリダ』をリリース。その後、自身のスタジオMausoleumを創設したディプロは、クリスティナ・アギレラ、サンティゴールド、ラ・ルー、シャキーラ、MIAらとのコラボ活動を精力的に行なうように。MIAとのコラボ・シングル「ペーパー・プレインズ」はグラミー賞にノミネートされたヒット曲となった。プロデューサー仲間であるスウィッチとのユニット、メジャー・レイザーとして活動する他、最先端をいくレーベルMad Decentも主宰する。音楽への探究心が尽きないディプロは、最近ではブラジルのファヴェラやニューオリンズ・バウンスに夢中だそう。多忙な日々を送りながらも、ビヨンセやアッシャーといった大物アーティストとのコラボも行なっている。

3月 26 2012

SXSWでもパワー炸裂のReggie Watts

類いまれな経歴を持つシンガー/コメディアンのレジー・ワッツが、相変わらずユニークな音楽活動を続けている。アフリカ系アメリカ人の父親とフランス人の母親を持つレジーはドイツ生まれ。スペインとモンタナの小さい町で育ち、5歳からピアノとバイオリンを学び始めた。高校生の時に移住したシアトルで加入したロック/R&Bバンドのマクチューブは、日本でアルバムをリリースするなど、そこそこの成功を収めた。後にレジーがレコーディングしたポップ・ソウル・アルバム『シンプリファイド』収録曲の「パート・オブ・ザ・ワールド」は日本のラジオでもよくかかる人気曲となった。その後、レジーはジャズファンク・バンドのソウル・ライヴとスティント・シンギングを行なうように。その一方でボーカル・トラックのルーピングで実験を始め、最終的に音楽とコメディーでのソロ活動に専念するようになった。レジーのコメディーはインターネットなどを通してイギリスを中心に人気を集め、瞬く間にテレビに出演する人気コメディアンになった。〈Bonnaro〉や〈Bumbershoot〉など様々なフェスティバルにも出演している。レジーの大ファンを自称するブライアン・イーノが、自身がキュレーターをつとめるシドニー・オペラハウスに彼をゲスト・アーティストとして招待したことも。バーディーマン、レジーナ・スペクター、LCDサウンドシステムをはじめとする多数のミュージシャンとコラボを行なってきたレジー。SXSWでのパフォーマンスには大観衆がつめかけ、満員の会場に収まりきらない何百人もの人々が列をなすほどの盛況ぶりだった。オースティン滞在中にレジーは今年6月にスタートする新テレビ番組「コメディー・バン!バン!」にレギュラー・ミュージシャンとして出演することを発表した。