60年代のサンフランシスコを象徴するエンターテイナーのキャロル・デューダが他界した。享年78歳。1964年、サンフランシスコのノースビーチ地区のCondor Clubを舞台にトップレスで踊ったキャロルのセンセーショナルなニュースは国際メディアのトップ記事を飾った。1965年にわいせつ容疑で逮捕されたが、裁判官が彼女のパフォーマンスを“社会的基準に則している”と判断したために無罪放免となった。この判決は、“何でもあり”な町で有名なサンフランシスコの風潮をさらに加速させた。後にバストサイズを75Dから110Eにする豊胸手術を受けたキャロルはますます有名になっていった。その豊満すぎる上半身だけでなく、機転のきくウィットに富んだキャラクターも彼女の魅力の1つだった。また、その活躍はクラブだけに留まらず、ポップ・ロック・バンドのザ・モンキーズ主演の『ヘッド』をはじめ、数々のB級映画にも出演した。キャロルの逮捕事件の直後から、ノースビーチにはトップレスダンサー達が続々と出現するようになり、その界隈をセレブが出入りするナイトライフのメッカとして繁栄させた。様々な水泳のフォームを模倣したゴーゴースタイル・ダンスや天井から吊り下げられたグランドピアノの上で踊りながら降りてくるキャロルの異色なスタイルのパフォーマンスは評判をよんだ。クラブのバンドリーダーのボビー・フリーマンは、彼女のダンスのコンセプトをテーマにした「カモン・アンド・スウィム」でチャート5位を獲得。同曲は当時クラブの従業員でまだ20歳だったスライ・ストーンが書いたものだった。ちなみに、1965年のサンフランシスコといえば、ジェファーソン・エアプレインのマーティー・バリンと仲間らがMatrix Clubを開業するなど、“サンフランシスコ・サウンド”が台頭した時期でもあった。Condor Clubはヒッピームーブメントやビート文学の発祥地として有名な書店City Lightsのほぼ対面に位置していた。キャロルの冥福を心から祈りたい。

2011年に音楽活動から引退したフィル・コリンズ(64)が活動再開を宣言した。ジェネシスのドラマー、そしてドラマチックなドラムサウンドが特徴的なソフトロックでソロ・アーティストとしても大成功を収めたコリンズは、多くのファンに指示されている。しかし、その一方で彼にうんざりしている人々もかなりおり、引退生活の継続を嘆願する署名活動を始めた者もいるほどだ。彼らがコリンズをそこまで嫌う理由については、ピーター・ガブリエルの代わりとしては役不足だったために、プログロック・アートバンドだったジェネシスをポップ・バンドにしてしまったこと。彼のソロ作品への過大評価やスプリームスのヒット曲「ユー・キャント・ハリー・ラヴ」の滅茶苦茶なリメイク・バージョン(しかし、UKチャート1位を獲得)をはじめ、批判的なレビューを書いたライター達への抗議電話、そしてファックスのみで元妻と離婚手続きをしたことなどが主に挙げられるようだ。コリンズは引退した時に、腰、手首や神経に問題を抱えている上に難聴や鬱病も併発していることを理由に“もうドラムを演奏することは不可能だ”と発表した。最近では腰の手術を受けて、この3年間は禁酒しているが、まだドラムを演奏することはできないとコメントしているコリンズの活動再開を疑問視する声もあがっているようだ。今後は、追加音源を収録した過去の作品のリリースや限定地域でのツアー(本人は来日公演を切望)を行なう予定だそうだ。