彼の曲は何度か白人のシンガーにハイジャックされている。例えば、パット・ブーンは1955年にファッツの曲だった「Ain’t That a Shame」(その後チープ・トリックがリバイバルする)で大きなヒットを飛ばしている。1956年にファッツは生涯で一番の大ヒットとなる「ブルーベリー・ヒル」を発表。この曲は彼が書いたものではなく、彼以前にも多くのメジャー歌手が歌っていたが、この大ヒットにより自分のものとした。1962年にはヨーロッパをツアーで回り、リヴァプールでは有名になる前のビートルズにも会っている。彼が最後にトップ100に名前を乗せた曲はビートルズの「Lady Madonna」のコピーだった(レノンとマッカートニーは二人ともファッツ・ドミノのファンで彼の曲のコピーもしている)。また、最近、セックス・ピストルズのグレン・マトロックは、彼らのヒット曲「God Save The Queen」は「Blueberry Hill」をピアノでいじっていた時に思いついたと明かした。
バークレーを根拠地として活動するパワー・ポップの伝説のバンド、ルビナーズは、最初に地元のビザークレー・レコードで録音したことで売れるようになった。このレーベルにはグレッグ・キン、ジョナサン・リッチマン、アースクエークなども所属していて、お互いに関わりあっている。ルビナーズは1977年に最初のヒット「I Think We’re Alone Now」(トミー・ジェイムス&ザ・ションデルズのカバー)をリリース。次のヒットはオリジナルの「I Wanna Be Your Boyfriend」で、2007年にアヴリル・ラヴィーンが「Girlfriend」をリリースした際、あまりに似通っていたため注目され、人気が再燃した。ちなみにアヴリルはその後、彼らにコピー料を支払っている。彼らはアメリカ国内で精力的にツアーを行っていて、1979年にはエルヴィス・コステロの前座で56回のショーをこなし、ヨーロッパでもBBCのトップ・オブ・ザ・ポップスやザ・オールド・グレイ・ホイッスル・テストへの出演などを含む活動を行なっている。彼らの曲は『Revenge of the Nerds(ナーズの復讐)』や、トム・ハンクスの『Bachelor Party(独身SaYoNaRa! バチェラー・パーティ)』などの映画にも使われている。
シェルビー・リンと妹のアリソン・ムーアが共同で素晴らしいアルバム「Not Dark Yet」を発表した。ボブ・ディランの書いたタイトル曲に加え、マール・ハワードの「Silver Wings」、ニルヴァーナの「Lithium」、ザ・キラーズの「My List」などのカバーや、オリジナル曲も収録されている。シェルビーは彼女の成功を決めた1999年のアルバム『I Am Shelby Lynne』から着々とポップ、カントリーとソウルの間に立ち位置を確立し、現在は「アメリカーナ」と分類されるようになった。一方でアリソンはカントリー音楽でキャリアを積み、一時はカントリーのスター、スティーヴ・アールと結婚もしていた。また、女優としても活動し、映画『The Horse Whisperer(モンタナの風に吹かれて)」での演技は秀逸。
ニューオリンズのファンクバンド、パパ・グロウズ・ファンクが新たな音楽ドキュメンタリー『Do U Want It?』の題材として取り上げられた。制作者のジョシュ・フレーンドとサム・ラダツキーは2012年にニューオリンズに移住、当時かのメイプル・リーフ・バーで月曜日の演奏を担当していたバンドに惚れ込んだのだという。バンドが近い将来解散すると聞いて愕然とした2人は、パパ・グロウズ・ファンクの歴史を記録するということを決意。このバンドはジョージ・ポーター・ジュニアのバンドでベテランだったオルガン奏者のジョン・「パパ」・グロウが自分のための多彩なファンクバンドを結成したいと2000年に作ったもの。彼は日本人ギタリストのジューン・山岸、ベーシストのマーク・ペロ、サキソフォン奏者のジェイソン・ミングルドーフやドラマーのラッセル・バティスト・ジュニア(後に脱退、ジェフェリー・「ジェリービーン」・アレクサンダーが参加)を起用した。グロウのゴールは、ベター・ザン・エズラやギャラクティック、リヴァイヴァリスツのような全国的なバンドにパパ・グロウズ・ファンクを育てることだった。
ニューオリンズ・ジャズ・アンド・ヘリテージ・フェスティバルのプロデューサー、クイント・デイヴィスは「パパ・グロウズ・ファンクはどんなフェスティバルで、世界中のどんなバンドと共演させたって目立つことができる」と絶賛する。しかし、時とともに、家族や住宅ローン、昼間の仕事など様々なプレッシャーによりバンドはうまくいかなくなっていく。アラン・トゥーサンとベター・ザン・エズラのトム・ドラモンドにプロデュースされた非常に素晴らしいアルバム『Needle In the Groove』も出版された。
クリス・ヒルマンが、トム・ペティ監修による新譜『Bidin’ My Time』をリリースした。ヒルマンはアメリカーナ音楽のベテランで、ザ・バーズ、ザ・フライング・ブリトー・ブラザーズ、マナッサスやデザート・ローズ・バンドの元メンバー。トム・ペティはデビュー当時よくザ・バーズと比べて批評され、本人もバーズを大きな影響があったと認めている。このアルバムにはトム・ペティのカバーソングである「Wildflowers」が含まれ、デヴィッド・クロスビーやハーブ・ぺダーセンがゲスト出演している。
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偉大なるトム・ペティが他界した。トム・ペティ&ハートブレーカーズは、元々はフロリダの出身だが、デビューアルバムはロサンゼルス、レオン・ラッセルとデニー・コーデルのシェルター・レコードで録音した。バンド名を冠したアルバムは1976年に発売され、ゆっくりとだが確実にファンを増やす。1977年の夏にはニルス・ロフグレンの前座としてイギリスツアーを行い、彼らの曲「Anything That’s Rock’n’Roll」はUKチャート24位になっている。アメリカでは、シェルターがリリースしたプロモ用EP『Official Live ‘Leg』がラジオ放送でそこそこの回数放送される。このEPは後にコレクターズアイテムとして人気になった。「Breakdown」というシングルはビルボードで40位につける。「American Girl」はFMでそれなりに放送されたが、チャートでは発売1年経っても55位止まり。1978年の新曲「You’re Gonna Get It」がその後23位となる。しかし、彼を本当のスーパースターにしたのはジミー・アイオヴィンがプロデュースした3枚目のアルバム『Damn The Torpedoes』で、300万枚以上売り上げ、チャート2位となった。その後、バンドは8億枚のアルバムを売り上げることになる。