Nov 22 2017

カルト・リーダーCharles Mansonが83歳で他界

カルト指導者だったチャールズ・マンソンが、83歳で獄死した。マンソンは父を知らず、母は軽犯罪の常習犯。結果、彼は里親制度と少年院の間で育った。1967年にカリフォルニアの刑務所を出所すると、家出少女たちにドラッグや洗脳を使ってカルトの信者を増やした。彼らは多くの犯罪に手を染めており、特に有名なのは1969年の、後にテート・ラビアンカ殺人事件として知られるようになった殺人事件だ。8人が死亡したこの事件では、妊娠8ヶ月だった女優のシャロン・テートがナイフで殺されている。マンソンはビートルズの狂信者で、ビートルズの、通称ザ・ホワイト・アルバムが彼に暗号を送っていると信じていた。ミュージシャンを自称していたマンソンは失望し、信者にテート邸を襲わせたのではないかという説がある。というのも、テート邸には以前プロデューサーのテリー・メルチャー(バーズ、ビーチボーイズ、ポール・リヴィアやライダーズを手がけた)が住んでいて、彼がマンソンのプロデュースを拒んでいたのだ。犯人は壁に血でビートルズにちなんだメッセージを残している。

マンソンと信者たちは、マンソンの曲を歌詞を変更してレコーディングしたビーチボーイズと親交があった。その身の毛もよだつような殺人事件はヒッピー文化の終わりを象徴するとして多くの歴史学者に引証されている。後に、ショック・ロッカーとして知られるマリリン・マンソンは、彼の芸名はチャールズ・マンソンとマリリン・モンローからとったとしている。ガンズ・アンド・ローゼスはチャールズ・マンソンの曲をレコーディング、アクセルはしばらくの間マンソンの似顔絵Tシャツを着ていたこともある。

彼の信者の多くは未だ収監されている。テート・ラビアンカ殺人事件には直接関与しなかったリネット・”スクイーキー”・フロムは、しばらくジミー・ペイジのストーカーをした後、フォード大統領を1975年に暗殺しようとした。彼女は2009年に仮釈放されている。