Grateful Deadの作詞家Robert Hunter他界

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グレイトフルデッドの作詞家だったロバート・ハンターが78歳で他界した。彼は本名ロバート・バーンズで、「オールド・ラング・サイン(蛍の光の原曲)」を作ったスコットランドの同名の詩人の子孫と信じられている。アル中の父に家族ごと見捨てられ、厳しい幼少期を過ごした彼は、ハンターという名前の男性と再婚した母と再会し、その姓を名乗るまで里親の家を転々としたという。10代の頃にグレイトフルデッドのギタリスト、ジェリー・ガルシアと出会い、彼とバンド活動を始める。しかし、ガルシアが絃楽器全体に才能を発揮する傍ら、彼は作詞にのめり込む。60年代前半、CIAが資本投入したスタンフォード大学のLSD実験に被験者として参加、LSD、メスカリン、シロサイビンなどの幻覚剤を摂取することで給料を得ていた(1968年までアメリカではLSDは合法だった)。ここでの経験が彼の物の見方に影響を与えたという。非常に珍しいことに、ハンターはグレイトフルデッドのメンバーとして数えられている。彼はステージでパフォーマンスを披露することはなかったが、デッドの曲の多くに(1番多いのはガルシアの曲だ)詞をつけた。初期の人気曲の多くは彼の共作で「China Cat Sunflower」「Dark Star」「St. Stephen」などを含む。その後彼はチャートでヒットした唯一の曲「Touch of Gray」他、バンドの名作と言われるアルバム『Workingman’s Dead』『American Beauty』の全曲に詞をつけている。バンドがロックの殿堂入りした際、ハンターもバンドメンバーとして同時に登録。パフォーマンスをしないメンバーが登録されたのは初めてだった。また、彼はボブ・ディラン、エルヴィス・コステロ、ブルース・ホーンビー、ビル・ペインやリトル・フィート、カイル・ホリングスワースやストリング・チーズ・インシデント、ロス・ロボスのセサル・ロサスらとも共作していた。安らかに。