レディー・ガガが、2月7日のアメリカ最大のテレビイベント、スーパー・ボウルにて国歌斉唱、その後15日にはグラミー賞授賞式でデヴィッド・ボウイのトリビュート・パフォーマンスをする。

ジャズファンクの達人でマルチ・プレーヤーのマイケル・カマーズとブラザーズ・ナイロンによる冒険心とグルーヴ感満載のコラボEP『アナログ・スピリット・クエスト』は(Ropeadope Recordsから今年7月にリリース)は、マイルズ・デイヴィス、ジミー・マクグリフ、フランク・ザッパのファンにおすすめの一枚だ。通常はMKグルーヴ・オーケストラ(MKGO)名義で作品をリリースしているカマーズだが、これまでにアフロビート・グルーヴ・オーケストラ、映画音楽の巨匠メルヴィン・ヴァン・ピープルズ、フリークフォーク・ムーブメントの代表格アクロン・ファミリーやレゲエバンドのイージー・オールスターズなど多数のアーティストとコラボレーションを行なってきた。また、日本人ではMisiaのドラマーとして最もよく知られるTomoaki Kannoとも定期的に共演している。

テニス・スターの錦織圭が、最近のインタビューで、試合前に聞いて気分を高める曲はNujabesだと答えた。
Nujabesは2009年に交通事故で死亡したが、彼の音楽は人気が高く、アメリカにも多くのファンがいる。アニメ「サムライ・チャンプルー」で彼を知ったというファンが多い。

大企業がオンライン海賊行為をどうやって支えているかという記事を、ビルボード・マガジンが発表した。音楽著作権侵害行為をしているサイトに広告を出したりしている企業のうちには、ウォルマート、マクドナルド、フォード、トヨタやマイクロソフトが挙げられている。

米アマゾン・ドット・コム社が、2ヶ月の間に音楽配信会社を開始すると発表した。
しかし、プライム・ミュージック・サービスが提供するのは、6ヶ月以上前の楽曲のみとなる。最新のコンテンツが含まれないのでは、音楽配信トップのSpotify、Rdio、BeatsやPandoraとは競合しないのではと思うが、このサービス自体、アマゾン本来の事業への「おまけ」的なものという位置付けのよう。また、他の音楽配信トップ会社と同様、日本でのサービス開始はまだ時期も決まっていない。

米アマゾン自体、ここ最近、出品者との公的な問題が目立つ。アマゾンのマーケットシェアの巨大さを武器に、出品者に対して、商品の更なる値引きを迫るのだ(CD、DVDだけでなく、あらゆる商品において)。この値引き要求に応じない出品者に対して、アマゾンは商品の検索のしづらくする、在庫の量を減らす、リコメンデーションやお急ぎ便を使えなくするなど、敵対行為を仕掛けるのだ。現在は、フランスの出版社アシェットが、この「インターネットのウォルマート」と異名をとるアマゾンの猛攻を受けている。

ハリウッド映画の題材として日本の作品が使われる事が続いている。『ゴジラ』の新作は、公開初週で世界で2億ドルという巨額の利益を生み出した。
また、現在噂になっているのが、トム・クルーズとエミリー・ブラント主演のSFCG映画、『Edge of Tomorrow』だが、これは桜坂洋のライトノベル『All You Need Is Kill』の漫画化を原作としている。
また、他の作品でも、日本の作品に触発されたと見てよさそうなものが続いている。『Hunger Game』は『バトル・ロワイアル』との共通点が多いし、『Her』のストーリーは、主人公秀樹が「ちぃ」と名付けられたコンピューター・プログラムに恋をする『ちょびっツ』に非常に似ている。

先週放送されたアメリカの大ヒットドラマ『ブレイキング・バッド』最終回のクロージングシーンで、バッドフィンガーの「ベイビー・ブルー」が挿入歌としてフィーチャーされた。ドラマ『ソプラノ』最終回にフィーチャーされたジャーニーの「ドント・ストップ・ビリーヴィン」と同様に今曲もリバイバル・ヒットになると予測されている。実際、すでにiTunesのメインチャートでは14位にランクインしている。ビートルズのレーベルApple Recordsと初めて契約を交わしたバンドであるバッドフィンガーは1970年と71年の間に4曲が大ヒット。しかし、Apple Recordsの売却や経営者のいかがわしいやり方に巻き込まれてしまう。メンバーのピート・ハムは1975年に首つり自殺で他界、追って1983年にトム・エヴァンズも自宅庭の木で首つり自殺を遂げ、バンドの歴史は幕を閉じた。しかし、彼らのアプビートなパワーポップ・スタイルの人気は衰えることなく、これまでに多数のアーティストにカバーされてきた。また、邦画『20世紀少年』にも数曲がフィーチャーされている。

ザ・キングスメンの名曲「ルイ・ルイ」リリース50周年を記念するスペシャル・イベントが、米オレゴン州ポートランドで10月5日に開催される。同曲は様々な意味で伝説的な曲である。作詞・作曲を手がけたリチャード・ベリーは「タイ・アップ・ザ・クレイジー・ガイ」というキューバの曲のリズムからインスピレーションを受けて同曲を書いたという。ベリーはチャック・ベリーの「ハバナ・ムーン」のようにカリブ調の英語で歌詞を書いたが、1955年にレコーディングされたこのオリジナル・バージョンはヒットしなかった。その後、アメリカ北西部出身のウェイラーズがカバーしたインストゥルメンタル・バージョンがそこそこのヒットになり、1961年にシンガーのロッキン・ロビン・ロバーツを迎えてレコーディングしたバージョンはシアトルのみでヒットした。同じく北西部出身の白人ティーンエイジャー・バンドのザ・キングスメンは、レコーディング予算50ドルを自己負担してウェイラーズと似たバージョンをワンテイクで録った。このバージョンのボーカル部分は、マイクの位置が高すぎた、あるいはシンガーが前日に歯の矯正治療を受けたのが一因の若干固いサウンド、3つのコードが繰り返され続ける非常にシンプルな構成が特徴だ。インディーズ・レーベルのジャーデンからリリースされたこのバージョンはかなり素朴な上に数カ所の演奏ミスがあるが、大ヒットとなり2位を獲得した。そして、北西部出身のポール・レヴィア&ザ・レイダーズがザ・キングスメンと同時期にレコーディングしたバージョンも人気を集め、アメリカ国内の地域によってはザ・キングスメンのバージョンをしのぐ勢いをみせた。しかし、歌詞が聞き取りずらかったため過激な性描写がふくまれているという噂が広がった。FBIは31ヶ月間に渡ってこの曲の調査を行ったが、最終的に歌詞がわかりずらいという結論に達した。複数のラジオ局は同曲を放送禁止にしたが、それは曲の人気をさらにエスカレートさせるだけだった。後にバンドのドラマーは、曲の冒頭54秒でドラムスティックを落とした時に“くそっ”と罵っている自分の声がかすかに聞きとれると認めたものの、歌詞は完全にクリーンだと主張した。人気の高さと演奏しやすさを理由に60年代半ばのアメリカのバー・バンドはこの曲をこぞってカバーした。フランク・ザッパは時々皮肉っぽく演奏し、ザ・ストゥージズのライブ・アルバム『メタリカKO』にはアドリブでわいせつな歌詞をつけて歌ったバージョンが収録されている。現在では、キンクス、ブラック・フラッグ、トゥーツ・アンド・ザ・メイタルズ、ザ・クラッシュ、ジョアン・ジェット、グレイトフル・デッド、ファット・ボーイズ、ブルース・スブリングスティーン、スマッシング・.パンプキンズなど少なくとも1600曲のバージョンがあるといわれている。

LAのサンセット・ストリップにあったタワーレコード跡地にポップカルチャー美術館を建設する計画が持ち上がっている。タワーレコードが西海岸で唯一の大手チェーンだった時期もふくむ1971年から2006年まで営業したタワーレコード・サンセット店は、タワーレコード最大の売上げを誇る店舗だった。音楽や映画業界のメッカでもあるLA中心部というロケーションから、同店には数多くのセレブ、奇人変人や業界人が足を運んだ。1930年代から40年代にかけては、Ciro’s、Mocambo、Trocaderoなどのクラブが人気を集めたことで、サンセット・ストリップは一躍ホットな夜遊びスポットに。60年代には、Whiskey-A-Go-Go、Roxy、Pandora’s Box、Rainbow Bar & Grill、London Fogなどのクラブが流行り、サンセット・ストリップに溢れ返る人混みを整理するために警察が外出禁止令を発令する事態に発展したほどだ。これをきっかけに暴動が起き、バッファロー・スプリングフィールドは「フォー・ワット・イッツ・ウォース」という曲を書いた。また、レッド・ツェッペリン、ザ・フー、ローリング・ストーンズらが滞在したハイアット・ウエスト・ハリウッド(通称ライオット・ハウス)は、あらゆる意味で過激なロック・ミュージシャンの伝説的な溜まり場として知られるようになった。70年代にはラジオDJのロドニー・ビンゲンハイマー主催のパーティー〈イングリッシュ・ディスコ〉がグラム・ロック・シーンを盛り上げた。この他には、メタルファンに人気だったStarwoodやGazzarri’sといったライブハウスから、ヴァン・ヘイレン、モトリー・クルー、ガンズ・アンド・ローゼズ、ポイズン、ウォレント、ラット、クワイエット・ライオットなど多数のバンドが誕生した。タワーレコードの対面にあったライブハウスCentralは、1993年にViper Roomとして生まれ変わり、ジョニー・デップが共同経営者であることをはじめ、俳優のリバー・フェニックスが麻薬の過剰摂取で死亡した場所として、客層がセレブ中心なことから有名になった。

「カリフォルニア・サン」のラモーンズ・バージョンが最近のダッジ自動車のテレビCMに起用されている。アップビートでポップな同曲は、黒人の作曲家/ミュージシャン/プロデューサーのヘンリー・グローバーと音楽業界の伝説的人物モリス・レヴィによる共作。アーティストをぼることで有名だったレヴィは、この曲の著作権を主張してきた。しかし、現在ではグローバーだけに著作権があると認める者もいる。1961年にニューオリンズ出身のジョー・ジョーンズ(「ユー・トーク・トゥー・マッチ」が大ヒット)がレコーディングした同曲は、チャート89位にとどまった。ところが、インディアナの高校生バンド、リヴィエラズが1964年にレコーディングしたバージョンがトップ5ヒットに。カリフォルニアを一度も訪れたことがなかったリヴィエラズのバージョンが主流となっていった。その後は、バーで演奏するバンドの定番曲となり、多数のアーティストによって様々な言語でレコーディングされてきた。日本ではおそらくベンチャーズのバージョンが最も有名だろう。1975年にNYを拠点とするプロト・パンク・バンドのディクテーターズがカバーし、1977年にはバンドの友人で近所に住んでいたラモーンズがカバーした。