ユニークなことにこのバンドの人気は時とともに上がったり下がったりを繰り返している。バンドの最初の2枚のアルバムはスペース・ロックの傾向が強いが、エディ・コクランの「C’mon Everybody」のカバーを含み、日本で特に人気が高かった。多くのファンは彼らのベストアルバムは19歳のマイケル・シェンカーが加入して最初の1974年の『Phenomenon』というが、当時のアメリカ、イギリスではチャートにも入らなかった。『Lights Out』はシェンカーが戻ったばかりのバンドが出したアルバムで、アメリカ・チャートでは最高位につけた。イギリスでチャート最高位になったのはスタジオ・アルバムの『Mechanix』だが、ファンの間では人気は低い。ライブ・アルバム『Strangers In the Night』はイギリスでチャート7位になったが、ロックのライブアルバムでは最高のものだと多くの人々が認めている。
スーパーサッカーズのリーダー/ベーシスト/ボーカルのエディ・スパゲッティがステージ3の喉頭がんであることが明らかになった。エディが治療に専念して1日も早く回復できるように、バンドは予定されていたヨーロッパツアーをキャンセルした。また、治療費を支援するためにエディ・スパゲッティがん闘病基金(Eddie Spaghetti Cancer Fight Fund)が設立された。1988年にアリゾナで結成されたスーパーサッカーズは翌年に移住したシアトルでサブ・ポップと契約。シン・リジィを彷佛させるハードロックなギター、そしてパンクとカントリーの影響を取り入れたサウンドで知られる。ヒット曲こそはないものの、キャリアを通して安定した人気を維持してきた彼らは世界中でツアーを成功させている。また、2002年以降は自主レーベルから作品をリリースしている。初代ボーカルは麻薬の過剰摂取で他界し、これまでに数回のメンバー交代を経てきたが、パワフルなライブには定評がある。エディが活動休止前にスーパーサッカーズと出演したシアトルのトラクター・タヴァーンでの公演では、ラモーンズの「アイ・ビリーヴ・イン・ミラクルズ」をパール・ジャムのエディ・ヴェダーと共演して会場をわかせた。