ポール・リヴィア&ザ・レイダースの創立者でリーダーだったポール・リヴィアが、76歳で亡くなった。本名ポール・リヴィア・ディックだった彼は、1770年代に活躍したアメリカ独立の立役者の1人、ポール・リヴィア遠い親戚だとしていた。
このバンドのコアは1958年に結成。ポールはハンバーガー・レストランのオーナーだったが、パンの卸先だったベーカリーで勤務するマーク・リンゼイと音楽について語り合い、バンドを結成。リンゼイがリード・シンガー兼サックス担当となり、1960年にバンド名もPaul Revere and the Raidersとなり、1961年に中ヒットとなるインストゥルメンタル曲「Like, Long Hair」をリリース。
マーク・リンゼイはその美貌とソウルフルな歌声、また、70年代には人気だったが、60年代始めでは女々しい、ヒッピーすぎると思われていたポニーテイルにした長髪で知られるようになった。
バンドは、コスチュームを1770年代のスタイルで統一、当時盛んだった「イギリス人の侵略」と言われていたムーブメント(ザ・ビートルズ、ザ・ローリング・ストーンズ、ザ・デーヴ・クラーク・ファイブなどのイギリスバンドがアメリカで人気を博していた)の対抗馬として活動した。ポール・リヴィアはキーボードを担当、リンゼイと共同でヒット曲を作曲していた。
レイダースの最初の全米ヒットは「Just Like Me」で、1965年にナンバーワンヒットとなった。このヒットにより、「Where The Action Is」という全米テレビ番組にレギュラー出演。ルーズなスタイルで、ステージをダンスしてまわったり、ふざけたりしながら演奏した。コミカルで、特徴的なスタイルで、おかしなコスチュームの彼らだったが、音楽的にはギターリフをメインに、非常によい、ソリッドな曲を多く書いている。その中でもアンチ・ドラッグをテーマにした「Kiks」が特に顕著だ。「Hungry」「Good Thing」「Him or Me, What’s It Gonna Be?」など、トップテン入りした曲も多くある。1967年にはベスト・セリング・アーティストとしてコロムビア(現ソニー・ミュージック)と契約した。
しかし、1967年には、バンドは困難に直面、メンバーのうち3人が各々のプロジェクトを立ち上げる為にバンドから脱退した。これによりメンバー構成が流動的になり、脱退したメンバーが戻ったりするようになる。バンドは時代遅れと呼ばれるようになり、十分に真剣だったり「ヘヴィ」ではないと言われ、アルバムはチャートを徐々に滑り落ちて行くが、ライブは人気が高く、テレビ出演も続けていた。1971年、レイダースは最大のヒット・ソングとなる「Indian Reservation」を発表する。600万枚を売上げ、コロムビアにとって(マイケル・ジャクソン以前の)最大の売上げを誇った。「Indian Reservation」はアメリカン・インディアンの境遇という深刻なテーマの曲。
1975年にはマーク・リンゼイがバンドを脱退、その後はオールディーズバンドとなったが、コンスタントに活動を続けた。その後、ポール・リヴィアの息子がメンバーに加入。しだいに色々なアーティストに曲がカバーされるようになり、特にパンクファンから人気を博した。モンキーズがカバーした「Steppin’ Stone」とキングスメンがカバーした「Louie Louie」は大ヒットとなるが、どちらのバージョンがベターか、論争になっている。
脱退したメンバーは多くがカントリーミュージックのジャンルで活動するか、音楽業界で仕事をしている。メンバーの中で特に著名だったマイク・”スミッティ”・スミスは2001年に、ドレーク・レヴィンも2009年に他界した。ポール・リヴィアは、レイダースと今年の春までレイダースとツアーを続けていた。

Paul Revere & The Raidersバンドのアルバムは現在日本では製版されていないが、インポートストアでは見つける事ができる。