伝説的なジャズのプロモーター、ジョージ・ウィーンが95歳で他界した。ジョージは1954年にニューポート・ジャズ・フェスティバルを開始。また、JVCジャズ・フェスティバル、ニューオリンズ・ジャズ・アンド・ヘリテージ・フェスティバル、ボストン・グローブ・ジャズ・フェスティバルやプレイボーイ・ジャズ・フェスティバルなど次々と立ち上げた。ジョージ本人もピアニストで、1950年にボストンのジャズクラブ、ストーリーヴィルを開店、自分が好きなミュージシャンをブッキングしていたら、多くが後にスターとして活躍した。彼自身はクラブ経営で儲けることはなかったが、裕福なジャズ・ファンや、多くのジャズ・ミュージシャンらに支えられ、フェスティバル・ビジネスを開始。彼が主催したフェスティバルでの有名なレコーディングのひとつに、マイルス・デイヴィスの『Round Midnight』(1955年にライブレコーディングし、これによってコロムビアとの契約につながり、ドラッグから足を洗った後の再起のきっかけとなった)。また、ボブ・ディランが1965年に『電化(フルアコースティックからエレキサウンドへ)』したのもニューポートのフェスティバルだった。他にも、デューク・エリントン、エラ・フィッツジェラルド、ビリー・ホリデイ、ニーナ・シモン、ハービー・マン、ジョン・コルトレーンやカウント・ベイシーら、多くの有名なライブ・レコーディングが残されている。ジョージは彼のプロダクション会社、フェスティバル・プロダクションズを2007年に売却したが、最後まで音楽と共にあった。音楽ビジネスの巨人、ジョージ・ウィーンよ、安らかに。