タジ・マハールとケブ・モがコラボアルバム『TajMo』を制作、5月5日にリリースする。このアルバムには6曲のオリジナル曲と、フーの「Squeezebox」や、ジョン・メイヤーの「Wainting On the World To Change」のカバーなども含まれる。

「ミスター・スーパーハープ」と呼ばれたジェイムス・コットンが81歳で他界した。友人たちにコットンと呼ばれた彼は、幼い時にハーモニカを始め、9歳にしてミュージシャンとして働いていた。9歳の時、両親の他界をきっかけに家を出たコットンに、叔父が、彼のアイドルだったサニー・ボーイ・ウィリアムソンに紹介してくれたのだ。この出会いにより、彼はブルースの世界で有名になり、15歳でレコーディングを始め、その後すぐにマディ・ウォーターズやハウリン・ウルフと共演することになる。1965年には、自分の名前でレコーディングを始めている。
ジャニス・ジョップリンはコットンの大ファンで、彼女のコズミック・ブルース・バンド時代、コットンにツアーの前座を依頼している。
1977年にはまたマディ・ウォーターズと共演し、ジョニー・ウィンターがプロデュースした「Hard Again」がグラミー賞を受賞している。
最近は、アリゲーター・レコードでほとんどのレコーディングを行っていた。

ジャズとポップを融合することにかけては右に出るものがいないという伝説的なプロデューサーのトミー・リピューマが80歳で他界した。彼は、自分もサックス・プレーヤーだったが、音楽業界の様々な仕事を経てA&Mのプロデューサーに就任。サンドパイパーズの世界的なヒット『Guantanamera』を手がけた。彼の次の大ヒットはジョージ・ベンソンの『Breezin’』。その後、彼はボブ・クラスノーとブルーサム・レーベルを立ち上げ、デイヴ・メイソンやダン・ヒックスなど、数々のロックミュージシャンと仕事を重ねていく。
他にも、バーブラ・ストライサンド、マイルス・デイヴィス、ドクター・ジョン、ポール・マッカートニーなど、業界の巨人と呼ばれる多くのミュージシャンと仕事をした。彼のレコーディングは何百万枚も売り上げ、グラミー賞も五回受賞。
また、ダイアナ・クラールがまだ売れない時に彼女の才能に気付き、その後20年間で11枚のアルバムを作成、彼女がジャズの世界でスターになるのを見守った。
リピューマはその人柄の良さでも業界内でよく知られていて、音楽的才能だけでなく、非常に慕われていた。彼の死を悼む人は多い。

グレッグ・オールマンが、2017年に予定されていたコンサートを全てキャンセルした。この決定については取り立てて説明はされていない。オールマンは、長期にわたる薬物乱用で知られていて、そのために数々の健康上の問題を抱えている。
ただ、日程について発表されてはいないものの、現在、ドン・ワスをプロデューサーに新アルバム『Southern Blood』をレコーディング中だ。2011年以来のソロアルバムになる予定。