ポール・マッカートニーが新たなソロ・アルバムを、プロデューサーのグレッグ・カースティンと作成中だと明らかにした。クルスティンは、未だに知名度はそれまで高くないものの、世界でも有数のトップ・プロデューサーだ。カースティンが最初にバンドを組んだのは12歳の時、クラスメイトのドゥイージル・ザッパとの二人バンド。その後、チャールズ・ミンガスとの仕事で有名なジャズ・ピアニストのジャッキー・バイヤードに師事し、音楽への造詣を深めた。
のちに、デヴィッド・バーンのルアカ・ボップ・レーベルで歌うことによってカルト的なステータスを得るバンドGeggy Tahを結成。また、その後にもローウェル・ジョージの娘イナラ・ジョージとThe Bird and the Beeというユニットを組み、日本にも何度も訪れて人気を博している。
彼は他にもアーティストに楽曲提供したりプロデューサーとしても活動、リリー・アレンのプラチナ・アルバムで頭角を現している。それからは、ララ・デル・レイやケイティ・ペリー、Sia、ベック・アンド・ピンクなどと仕事を重ねている。また、彼は他にもアデレの『25』アルバム中、3曲を共著し、プロデュースしている。

オルタナティブ・ロック・バンドのプリミティブ・レイスが、前回と同じくメトロポリス・レコードから発売予定のアルバム制作中。プロデューサーでベース・プレイヤーのクリス・ナイカー率いるこのバンドは、元フェイス・ノー・モアのヴォーカル、チャック・モスリー、メルヴィンズのドラム、デイル・クローヴァーをメンバーに含む。プリミティブ・レイスのアルバムには、PIGのレイモンド・ワッツや、Prongのトミー・ヴィクター、スキニー・パピーのデイヴ・オギリヴィーなど、インダストリアル・ミュージックのベテラン勢が以前から参加している。

4月28日、トロンボーン・ショーティが新譜『Parking Lot Symphony』を、ブルーノート・レコードから初めて発売する。このニューオーリンズをベースに活躍するトロンボーン奏者は、ベン・エルマンがプロデュースした『Backatown』というアルバムでグラミー賞にノミネートされ、地位を確立した。このアルバムは9週の間ビルボードのジャズ・チャートのトップを独占。その後、エリック・クラプトンとレコーディングを行い、フー・ファイターズと共演、オバマ大統領のために2度登場し、2016年のホール・アンド・オーツ・ツアーの、2016年と2017年のレッド・ホット・チリ・ペッパーズ・ツアーの前座を務めている。
新曲「Here Come the Girls」はiTunesでダウンロード可能。

「ロックの創始者」として知られるチャック・ベリーが90歳で他界した。他の誰よりもロックという音楽に大きな影響を与えた人物だった。
エルヴィス・プレスリーの方が有名かもしれないが、プレスリーはほぼ自分以外の人間が書いた曲を演奏し、ギターも演奏するためというより小道具として扱っていた。対するチャック・ベリーは自分で歌詞を書き、その曲はボブ・ディランをして「ロック界のシェイクスピア」と言わしめた。また、彼は独特のギター・スタイルを確立し、多くのロック曲の基礎となった。ビートルズ、ローリングストーンズはチャックに多大な影響を受けており、彼の曲のカバーも多くレコーディングしている。
しかし、人気絶頂の時、14歳の少女と性的な関係を持って他州に連れ出したということで逮捕されてしまい、この経験は彼を疑心暗鬼にさせた。多くの知人が、彼の初期の曲に溢れていた、明るくてユーモアいっぱいの人柄が薄れてしまったようだと話している。
収監された後も、主にオールディーズのサークルで音楽活動を続け、リハーサルなしの、現地で選ばれたバンドと共演、ステージごとに支払いを要求するスタイルを続けた。
彼の「Johnny B. Goode」はロックの歴史で最もカバーされ、他にも多くの曲がロックのスタンダードとなっている。
安らかに。

少年ナイフが、北米ラーメン・アドベンチャー・ツアーを準備中だ。
食べ物(と動物)の曲を書くことで知られている少年ナイフなので、このツアータイトルも驚きではない。現在北米では一大ラーメンブームということもあって、便利なファストフードとしてラーメンをメニューに載せる店から、アートとして扱い、そのスタイリッシュな一杯に1500円から1800円の値段をつけるような店まで様々だ。
このツアーの中で、少年ナイフは様々なラーメンにまつわるイベントを企画しているらしい。
ツアーの最初はボストンのホジョコという居酒屋スタイルスポーツバー/レストランで、ヴァーブ・ホテルの一部。ツアーの終わりは5月27日、ロサンゼルスの予定。

タジ・マハールとケブ・モがコラボアルバム『TajMo』を制作、5月5日にリリースする。このアルバムには6曲のオリジナル曲と、フーの「Squeezebox」や、ジョン・メイヤーの「Wainting On the World To Change」のカバーなども含まれる。

「ミスター・スーパーハープ」と呼ばれたジェイムス・コットンが81歳で他界した。友人たちにコットンと呼ばれた彼は、幼い時にハーモニカを始め、9歳にしてミュージシャンとして働いていた。9歳の時、両親の他界をきっかけに家を出たコットンに、叔父が、彼のアイドルだったサニー・ボーイ・ウィリアムソンに紹介してくれたのだ。この出会いにより、彼はブルースの世界で有名になり、15歳でレコーディングを始め、その後すぐにマディ・ウォーターズやハウリン・ウルフと共演することになる。1965年には、自分の名前でレコーディングを始めている。
ジャニス・ジョップリンはコットンの大ファンで、彼女のコズミック・ブルース・バンド時代、コットンにツアーの前座を依頼している。
1977年にはまたマディ・ウォーターズと共演し、ジョニー・ウィンターがプロデュースした「Hard Again」がグラミー賞を受賞している。
最近は、アリゲーター・レコードでほとんどのレコーディングを行っていた。

ジャズとポップを融合することにかけては右に出るものがいないという伝説的なプロデューサーのトミー・リピューマが80歳で他界した。彼は、自分もサックス・プレーヤーだったが、音楽業界の様々な仕事を経てA&Mのプロデューサーに就任。サンドパイパーズの世界的なヒット『Guantanamera』を手がけた。彼の次の大ヒットはジョージ・ベンソンの『Breezin’』。その後、彼はボブ・クラスノーとブルーサム・レーベルを立ち上げ、デイヴ・メイソンやダン・ヒックスなど、数々のロックミュージシャンと仕事を重ねていく。
他にも、バーブラ・ストライサンド、マイルス・デイヴィス、ドクター・ジョン、ポール・マッカートニーなど、業界の巨人と呼ばれる多くのミュージシャンと仕事をした。彼のレコーディングは何百万枚も売り上げ、グラミー賞も五回受賞。
また、ダイアナ・クラールがまだ売れない時に彼女の才能に気付き、その後20年間で11枚のアルバムを作成、彼女がジャズの世界でスターになるのを見守った。
リピューマはその人柄の良さでも業界内でよく知られていて、音楽的才能だけでなく、非常に慕われていた。彼の死を悼む人は多い。

グレッグ・オールマンが、2017年に予定されていたコンサートを全てキャンセルした。この決定については取り立てて説明はされていない。オールマンは、長期にわたる薬物乱用で知られていて、そのために数々の健康上の問題を抱えている。
ただ、日程について発表されてはいないものの、現在、ドン・ワスをプロデューサーに新アルバム『Southern Blood』をレコーディング中だ。2011年以来のソロアルバムになる予定。

PIGが、ロンドンのGarageでファイナルを迎える英国ツアーを開催中だ。
PIGは英ミュージシャン、レイモンド・ワッツのステージネーム。ワッツは本名での活動の他に、ナイン・インチ・ネイルズとツアーを行ったり、ドイツのバンドKMFDMに参加したりしていた。PIGにはKMFDMのメンバー、En EschとGunter Schulzが加わっている。
PIGは、プロジェクトSchaftとSchowerinで日本のバンド、バクチクのメンバーとのコラボレーションも行なっていて、このプロジェクトの曲の多くを作曲していた。
また、ファッションデザイナーのアレクサンダー・マックイーンのショーの為に作曲したこともよく知られている。
おかえり、PIG。